カルタゴの名将、戦略の父、歴史上最も偉大な軍事指導者の一人という、数々の美辞麗句で讃えられる、古代地中海の英雄ハンニバル・バルカス。初回は、この人物に迫ります。
紀元前219年、ハンニバルは、何十年も父兄子の3代で養ってきた強力な傭兵軍を率いて、イベリア半島のローマ同盟都市サグントゥム(現:スペイン=サグント市)を攻撃しました。8ヶ月による攻防の結果、カルタゴ軍はサグントゥムを陥落させ、ローマからの宣戦布告を受けました。
アフリカ北西部からイベリア半島を支配するカルタゴとイタリア半島周辺を支配するローマ共和国の戦い、第二次ポエニ戦争が始まりました。これは通称『ハンニバル戦争』とも呼ばれ、あくまで、この戦争の主役がハンニバルであったことを物語る史料として知られています。
戦争開始直後、ハンニバルは時間を無駄にせず、恐るべき速度で北進、好戦的なケルト人部族が支配するガリアの地(現:フランス周辺)に踏み込みました。彼は現地の部族を金銭あるいは武力で懐柔していき、着々と軍勢を進めました
。
ハンニバル率いる6万のカルタゴ軍は、アルプス山脈の近くに到着すると、そのまま南進、アルプス山脈に向かい、その時、歴史が動きました。
これがいわゆる『ハンニバルのアルプス越え』で、その日から約2000年後、ナポレオンが自分をハンニバルになぞらえてアルプスを越えました。
アルプス越えは壮絶を極め、兵力の半数以上が犠牲になったと言われています。しかし、ハンニバルは卓抜した指揮能力と気力によって、カルタゴ軍にアルプスを越えさせ、イタリア半島に入りました。イタリアの大地を見下ろした時、ハンニバルは配下の将兵に言いました。「これがお前達の土地になるのだぞ」と。
2万6000のカルタゴ軍は南下を開始すると、ティキヌスの地でローマ軍騎兵隊を撃破、トレビア河の河岸でローマ軍と衝突しました。
ハンニバルは謀略によって、ローマ軍に冷たい冬の河を渡らせ、カルタゴ軍は強力な騎兵隊を駆使して、戦場の主導権を握り、圧倒的な騎兵戦術で疲弊したローマ軍に大打撃を与え、退却させました。
カルタゴ軍は更に南下を進め、トラシメヌス湖畔の戦いにて、今度はローマ軍を奇襲しました。
ハンニバルはローマ軍の情報網を攪乱し、2つのローマ軍を南北に分断、味方の姿を巧みに隠しました。その後、ハンニバルは南のローマ軍(フラミニウス部隊)に対する奇襲攻撃を命令、森林から突如として現れたカルタゴ軍は、フラミニウス部隊を左側面から押し込み、右側面に湖を控えたローマ軍は壊滅しました。その後、生き残った側のローマ軍は撤退します。
その後の数年間、カルタゴ軍が補給路を攪乱され、ファビウス率いるローマ軍が戦いを挑まなくなったことでハンニバルは悩まされますが、ファビウスがハンニバルの策略によって失脚した後、主戦派のウァロが戦地へ向かい、カンナエで激突しました。
カンナエの会戦では、5万のカルタゴ軍は凹陣形を取り、騎兵によって敵の背後を固め、8万のローマ軍を完全に包囲、殲滅しました。生きてローマ市の地を踏めた者は数えるほどしかいなかったと言われています。
これらの勝利によって、傭兵として雇われた外国人達は、ハンニバルという一人の男に惚れ込んだものと考えられます。自分達の上司が極めて優れ、魅力的な人物だったとすれば、無理もないことでしょう。
更にハンニバルは、兵士に対して理解にも似た行動を幾度となくとっていました。司令官としての職務(戦後処理、部隊編制、作戦計画、謀略など)をたった一人でこなした後、もちろん寝床につく。しかし、その寝床というのは哨兵の兵舎だったのです。つまり、野営陣地の門番が寝泊りする場所で寝ていました。そこは、もし敵の攻撃を受ければ、一番死にやすい場所なのです。
兵士達にとっては、緊張しつつも心強い限りだったことでしょう。しかも、豪華なベッドなどあるはずもなく、兵士達とそう変わらない粗末な毛布にくるまって、地べたに寝転がっていたと伝えられています。育ちの良い青年(ハンニバルはカルタゴの名門貴族)がこのような行動を取れば、古参兵たちも感心せずにはいられなかったでしょう。
しかし、ローマ側にも一人の英雄が登場しました。プブリウス・コルネリウス・スキピオその人です。彼は異例の若さで軍の司令権を掌握すると、イベリア半島(現在のスペイン、ポルトガル)に逆進攻、ハンニバルの根拠地カルタゴ・ノヴァが陥落し、カルタゴの従属国にして騎兵の名産地ヌミディアを味方につけました。
そして、補給のために出撃したハンニバルの弟ハスドルバルは、メタウルスの地にてローマ軍ネロ部隊の奇襲に遭って戦死、末弟のマゴも戦傷がもとで撤退中に息を引き取りました。ハンニバルはこの報告を聞いた時、この戦争に負けることを覚悟したと言われています。
かくして、カルタゴ本国は貴族達の利権や金勘定どころではなくなり、ハンニバルを呼び戻すかどうかで揉めました。しかし、状況が全く読めていない政治指導者達は静観を決め込み、シチリア島防衛に失敗した軍の再建にだけ着手しました。
スキピオ軍がカルタゴに迫った時、バグブラデスの戦いでカルタゴ軍の最終防衛ラインは突破され、ハンニバルは、やっと呼び戻されることになりました。
……2に続く。
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